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伊坂幸太郎『フーガはユーガ』

今回は伊坂幸太郎さんの小説『フーガはユーガ』を紹介していきます。

伊坂さんの作品には登場人物が理不尽な状況に巻き込まれていくことが多いです。勝手に犯人に仕立て上げられたり、知らず知らずのうちに権力に絡め取られたりしてしまいます。

この作品でも理不尽な状況というのは見られて、それは父親からの暴力です。双子の主人公は恒常的に父親からの虐待にされされています。そして、その状況から逃れようとして、ある日、双子間で起こる不思議な力を手に入れるというお話。

不思議な力といっても超能力のスーパーパワーでなんでも解決できるわけではありません。それ自体は工夫しないと不便なものにしかならない力だったりします。

しかし、登場人物はあの手この手で特別な力を活かそうとします。ここに伊坂さんの登場人物を魅力的にする魔法が隠れています。工夫する姿を通じて双子がどんどん立体的に親しみやすく感じられていきます。

また、その力を持ってしまったら起こる弊害や施すことの出来る素敵な仕掛けなど、この力を伊坂さんが持っていたのではないかと思わせるほど自然に力を描写しています。

こんな力があるのかもしれないし、あったらいいな、もしあったら素敵だなと、思わせられること間違いなしです。

 

伊坂作品に多い伏線や物語があるとこに落ち着いていく感覚を本作も味わうことができます。少しづつ話が見えてきたと思ったら裏切られる心地良さは健在です。

不思議な双子と出会いたい方は是非。

フーガはユーガ

フーガはユーガ

 

 

そこに在るということ 西加奈子『きいろいゾウ』

ある夫婦が愛とはなにかを見つけていくお話。今回紹介する作品は西加奈子さんの小説『きいろいゾウ』です。

田舎に越したある夫婦の小さな日常の物語。物語前半は都会から離れた田舎でのスローライフがゆっくりとユーモアたっぷりに進んでいきます。日々語られる出来事はゆったりとしていて小さな幸せがそこかしこに溢れています。

しかし、物語が進むにつれてムコさん(夫はムコさんという名前です)の抱える過去の悲しみが見えてきます。そして、夫婦が共に関係を見直して、大事なものを見つけていきます。

西さんの他の作品『サラバ』などに見られるようにこの作品も主要人物が重く悲しい過去を抱えています。そして、その悲しみを乗り越え「愛」を見つけます。

西さんの作品では愛とトラウマが主題になることが多いように思います。しばしば、主人公達は他者に言われた言葉を引きずっていたり、ある出来事を忘れられないでいます。そして、それらを乗り越えるために愛の定義を必要とします。

この『きいろいゾウ』では夫婦の間に愛の定義を規定し、悲しみの昇華をはかっています。読者はこの作品を通じて、この夫婦とともに愛を見つけていくことになります。

スローに見える日常にも幸せと悲しみは溢れていて、そういったものをつぶさに見ること、感じることがどれだけ重要なのか深く学びました。

ある夫婦の素敵な日常を垣間見たい方は是非。

きいろいゾウ (小学館文庫)

きいろいゾウ (小学館文庫)

 

 

体験しえない感情への郷愁 Arcade Fire『The Suberbs』

カナダはモントリオール出身のインディーロックバンド、Arcade Fireの『The Suberbs』というアルバムの魅力をお伝えしていきたいと思います。

このアルバムの魅力を一言で言うなら郊外への郷愁です。

都市から少し離れた場所、場所を構成する要素が主に家庭であるその場所で色々なことを体験した子供時代から青年時代への感慨。

ただ、そこは日本ではなく、アメリカとかイギリスとかのバスケットゴールと芝生とガレージがあるような家が立ち並ぶ場所。

全く体験したことの無い、ほとんど行ったことのない場所に感慨をもたせるようなそんな素敵なアルバムです。

音調はフォークやカントリーに近いですが、色々な要素が混じりあってオルタナティブとも形容することができます。

ただ、刺激が強いアルバムでは無いので染み込むまでは掴みづらいかもしれませんが。聞いていくと少しずつ情景や音像が浮かぶようになります。その体験はとても美しく、離れ難いものになります。

海外のインディーロックが好きな方には是非オススメしたい。また、少し物悲しい気分な方もどうぞ。あくまで現実的な異世界に没入することができます。

 

 

 

ザ・サバーブス

ザ・サバーブス

 

 

顔を取り外す小説 西加奈子『ふくわらい』

小さい頃に福笑いをしたことがあるでしょうか。目が見えない状態で顔を組み立てるあの遊び。その福笑いに取り憑かれた女性が本作の主人公です。

作家は『サラバ』や『i』などで知られる、イランはテヘランの生まれ、大阪育ちの作家西加奈子さんです。

生い立ちが影響しているのか、西さんの作品には社会的マイノリティの人々が主人公となることが多いです。

この『ふくわらい』の主人公もマイノリティの要素を確かに持っています。ただ、福笑いを通じて世界と触れ合うという今まで見た事がないマイノリティで、最初は違和感が伴います。なにせ、福笑いよろしくどんどん人の顔のパーツを変えてしまうのですから。言うなれば認知のマイノリティでしょうか。また、主人公の家族背景も「普通」ではありません。

そんな他人の顔を弄ぶという今までに聞いたことがない癖をもち、人を表面でしか理解できない彼女が少しずつ人を3次元で理解していく様は激しく、幸福に満ちていました。

人の機微を読めないという点では村田沙耶香さんの『コンビニ人間』に主人公の像が似てるとも思います。ただ、2人の辿った奇跡は全くの逆ですが。

西さんの作品はユーモラスな作品(『サラバ』など)と悲しさが多い作品(『i』など)の2つに大きく分かれますが、この作品はどちらとも判断がつきません。ユーモアもあり、悲しいところもあり。やや悲しみの強い中道右派といったところでしょうか。

本作でキーワードになっているのは顔でしょう。主人公が自由自在に変えてしまう顔。人のアイデンティティを司る顔。そのアイデンティティが通じない人物を描いた本作。福笑いに思いを馳せたい人、顔を自在に変えられたい人は是非。

ふくわらい (朝日文庫)

ふくわらい (朝日文庫)

 

 

 

アドラー心理学『嫌われる勇気』を読んで

哲人と青年の対話形式で行われる、アドラー心理学をわかりやすく説明した『嫌われる勇気』が200万部の出版を突破しました。国民総アドラーの時代も近いのかもしれません。

私もこの本を読み衝撃を受けた1人です。特に、「課題の分離」という考え方が刺激的でした。夢にも出てきたくらいです。夢の中で日常の色々な出来事の分離を行っていました、、。

課題の分離を自分なりの解釈で説明すると自分に出来ることだけに集中しようということです。本文では馬を水辺に連れていくことは出来ても水を飲ませることまでは出来ない、という印象的な表現で書かれています。

英語の慣用表現であるMind your businessに通じるものがあります。

人を変えるのは無理だから自分を変える。どこまでが自分に出来ることなのかを考え、その先は相手次第だ。簡潔でいて、奥が深い考え方です。

しかし、哲人は理解するよりも実践して身につけることの方が遥かに難しいと作中で話しています。今まで生きてきた年月の半分掛かるとまで言っています。

実際、「課題の分離」の考え方もどこまでが自分に属してどこから相手の領域か、判断がとても難しい部分がああるんですよね。例えば、家事の分担なども分けようとすると家族全員に等しく属していて線引きが出来ないことがわかります。(作中では家事を手伝ってくれなくても親が笑顔でひきうけていれば子供たちが手伝うようになると書かれていますが。この部分は非常に疑わしいと感じます)

日常の出来事が全てアドラー心理学修行の場に変わってしまう、劇薬作用を持った哲学書。売れに売れているということは現代は劇薬なしでは乗り切っていけないのでしょうか。

物事の見方を刷新したい方は是非に。デファクトスタンダード的に現代人必携の1冊になっています。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

村田沙耶香『コンビニ人間』を読んで

 クレイジー沙耶香たる所以を垣間見た。この作品の1番の感想はそれでした。全く人の心が読めない主人公に読者を惹き付け、魅力すら感じさせてしまう手腕。実は作者自身がこの主人公なのではないかと思わせる、そんな作品でした。

 現に、村田さんのインタビューでも未だにコンビニバイトを続けていて、バイトに入った日でないと筆が進まないと仰られていました。なるほど、、主人公とリンクするところはある程度あるのか、、、。

 この作品を読んで痛切に感じさせられるのは、自分たちを「普通」とみなしている人達の圧倒的な同調圧力。常識、普通、通常などの単語で示される行動様式が通じない人に対してどれだけのプレッシャーを与えているのかを思い知らされました。

現代は相対主義の極地とも言われていますが、その相対主義を支えているのが実は同じものさしであるということを巧みに描いていました。

そして、その描き方がコンビニという即物的で具体的なものを通して描かれているので、ポップで読みやすく、理解しやすいように思いました。

現代のものさしを上手く打ち破ってくれるそんな作品です。村田さんのクレイジーさにやられたい人は是非。

【第155回 芥川賞受賞作】コンビニ人間

【第155回 芥川賞受賞作】コンビニ人間

 

 

辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』を読んで

 薄曇りの青春群像劇を描かせたら辻村深月さんの右に出る作家は居ないんではなかろうか。そう思わせるほどの出来でした。高校生たちの関係性を多面的にかつ内省的に見事に書ききった作品だと思います。

しかも、これが第1作というのだから驚きです。

 2018年に本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』と対をなすような作品でもあるように感じられました。ただ、『冷たい校舎の時は止まる』の方が視点を分け、登場人物たちの抱える人に言えないような、中村文則風に言えば泥濘の部分に触れることに成功しています。

 もちろん、8人の登場人物ごとに視点が変わるので目まぐるしさは確かにありますが、その視点が徐々にまとまっていく感覚は気持ちよく、最後の方にはページを繰る手が止まりませんでした。物語終盤の仕掛けのページも国語のテストをしているようで楽しかったです。ただ、正解はしませんでしたが。。

 そんなに作品数を読まず『かがみの孤城』こそが辻村作品の至高だと考えていましたが、見事に打ち砕かれました。

高校生たちのややスノーウィーな青春群像劇を読みたい方、オススメです。

冷たい校舎の時は止まる(上) (講談社文庫)

冷たい校舎の時は止まる(上) (講談社文庫)